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まい・エピソード: 30分

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 僕が歩かなくなったのは、小学校3年生の7月。小学校1年生より八雲病院に入院している。なぜそんなにはっきり覚えているかというと、夏休みの外泊した時に、立ち上がれなくなっていると気づいたからだ。夏休み前に、ベッドに座っていると、バランスを崩してベッドから転げ落ちた。そのときに、腕をついてしまったのだ。「やばい」一瞬そう思ったが、痛みもその時点では特になかった。しかしやはり夜になり腕が腫れ上がり、翌日レントゲンにて、ぽっきり折れていることをしった。それからは、また歩いていて転んでけがをしてはまずいとの判断で、治るまで車いすということになった。夏休みの外泊時、立ち上がれなくなっていた自分にはショックだった。「車いすにのっていたからだ。。」そう思ったがそれは事項自得。思いをぶつける場がなかった。
車いす生活になっても、今と違い、当時の病棟はほとんどの生活者が歩くか、いざりの生活である。学校までは、車いす。訓練室では、補装具をつけての歩行訓練。そして、病棟では、いざりで移動していた。9人クラスでも、たいがいのことは先生に手伝ってもらえるので、学校では不自由にことかかなかったが、病棟では、いざりの生活では、不便さがあり、歩けないというよりも、いざりである自分にくやしさがあった。
当時の病棟の生活は朝6時に始まり、みんなベッドから床におろされる。そして、プレールームまでいざりで移動し、食事をして、また自室に戻るのである。時間は30分。往復1時間移動についやすのである。

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