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 「今年の夏の甲子園を振り返って」

 今年の夏の甲子園は、応援していた昨年の夏の甲子園で、2年生ながら1回戦の愛媛の今治西戦で、1試合で22奪三振の夏の甲子園の奪三振の記録を塗り替えた神奈川の桐光学園の松井裕樹投手が、神奈川大会で今年の夏の甲子園に出場を決めた。神奈川代表の名門の横浜と準々決勝で対戦して、3対2の1点差で松井投手は2本のホームランに泣いて、横浜に負けて、応援してたので、松井投手が夏の甲子園に出場できなかったのは残念でした。
続き

 今年の夏の甲子園は、開会式では元巨人・元タンパベイレイズの松井秀喜氏が、1992年の高知の明徳義塾戦で5打席連続敬遠されて、3対2の1点差で負けた試合以来21年ぶりの夏の甲子園の開会式を3塁側ベンチで見た後の開会式後の試合を観戦して、21年前の甲子園でプレーしたこと思い出したのじゃないかと思います。
 今年の夏の甲子園には、久しぶりで2007年以来6年ぶりに松井秀喜氏の母校の石川の星稜も夏の甲子園に出場していて、松井秀喜は大会3日目の第1試合の母校の星稜と徳島の鳴門の試合を観戦しに来たが、母校の星稜は初戦の1回戦で、徳島の鳴門と対戦して、12対5で負けて残念ながら初戦突破はなりませんでした。
 今年の夏の甲子園は、北・北海道代表の帯広大谷の杉浦大斗主将のすばらしい選手宣誓で、今年の夏の甲子園が始まりました。
 今年の帯広大谷の杉浦大斗主将を入れて、春のセンバツと夏の甲子園と合わせた北海道で甲子園で選手宣誓した歴代の主将は7人います。
「北海道で甲子園で選手宣誓した歴代の主将」
春のセンバツ
1958年 第30回 万文 勉 函館工   1991年 第63回 山口 努 旭川龍谷
1992年 第64回 今石将史 駒大岩見沢 2005年 第77回 林 裕也 駒大苫小牧
2010年 第82回 西田明央 北 照
夏の甲子園
1997年 第79回 佐藤智真 旭川大髙  2013年 第95回 杉浦大斗 帯広大谷
 南・北海道代表の北照は、茨城の常総学院と対戦して、1回表から3回裏まで常総学院のエース飯田投手と北照のエース大串投手の投げ合いで、0対0のしまった試合となり、4回表に北照は1死から3番の吉田選手が中安で出塁したが、盗塁を試みて、常総学院エース飯田投手のすばらしい1塁のけん制球に挟まれてタッチアウトで、北照は0点で、4回裏に常総学院の4番の内田選手に、北照のエース大串投手の投げた内角のストレートを3ランを打たれて、常総学院に3点を先制されて、5回表の北照は無死から5番の澤田選手も出塁するがけん制球で刺されて、北照は0点で、常総学院は5回裏以降は、北照の捕免6回裏は1死2塁から7番の池沢投手が右越え適時3塁打、続く8番の飯田投手が投前にスクイズを決められて、3点を追加されて、北照の打線は 9回表まで常総学院の先発のエース飯田投手は力のあるボールで相手打線を散発の4安打完封で常総学院に6対0で、北照は残念ながら負けて、夏の甲子園の初勝利はなりませんでした。
 この試合の敗因は、4回表と5回表は盗塁をして得点チャンスを広げようと思ったら、常総学院のエース飯田投手のけん制球に、吉田選手は盗塁死と澤田選手はけ
ん制球で、刺されたのと打線も走者を出したが、常総学院のエース飯田投手を攻略できず、4安打に抑えられたのと自慢の機動力も使えず打線も打てなくて、得点もできず完封負けでした。
 守備では4回裏には、常総学院の3番の1年生の石井選手に送りバントを処理した時に、北照の2年生のサードの金子選手のファーストの送球がそれて、ミスで相手の常総学院に得点チャンスを広げられて、1死1、3塁とされたので、守備でミスすると試合の流れが変わったのも敗因だと思います。
 北・北海道代表の帯広大谷は福井の福井商対戦して、福井商は1回裏に、先頭の1番の山本選手が3塁内野安打、2番の中村辰選手が投前犠打で1死2塁とし、3番の関選手の右翼線適時3塁打で1点を先制した。2回表に帯広大谷に同点とされ、6回表には帯広大谷に勝ち越しを許したが、1点を追う8回裏、3番の関選手の右翼線2塁打と4番の大石選手の投前バント安打で無死1、3塁とし、5番の安田選手の1塁前へのスクイズで同点。さらに1死1、3塁から7番の林選手の投前へのスクイズが野選を誘い勝ち越し、8番の中屋選手も左前適時打を放ち4点目を挙げた。帯広大谷は1点を追う2回表に1死1、2塁から7番の角選手の中前適時打で同点とした。6回表に2死1塁から7番の角選手が左
中間へ適時2塁打を放ち、一時は勝ち越した。逆転を許した直後の9回表の先頭打者の6番の亀井選手の左中間ソロ本塁打で1点差に迫り、7番の角選手も中前打で同点のランナーを出したが、8番の工藤選手の送りバントはボールカウント3ー2からスリーバントとなって投手正面で、送りバント失敗で併殺打となり、2死走者なしで、9番のエース田村投手に代わって代打の池田選手は10球も粘ったが空振り三振で試合終了で、帯広大谷は4対3の1点差で残念ながら福井商に負けたが、帯広大谷は初出場ながら頑張ったと思います。
 負けた帯広大谷は、先発の2年生の背番号11の投手佐藤和真投手は、立ち上がりの1回裏に福井商に1点を先制されたが、7回裏までは福井商の打線に得意のスローカーブは有効だったが、8回裏に力尽きて福井商の打線に捕まって得意のスローカーブを打たれて、スクイズで同点にされ、勝ち越されて、代わったエース田村投手も打たれて1点を失って4対2の2点差となり、9回表に6番の亀井選手のソロ本塁打をで、4対3の1点差に追いつくが残念ながら負けたが、7番の角選手は3安打・2打点の活躍で1人で、チームほとんどの打点を稼いでいて、4対3の1点差で福井商に負けて、帯広大谷は春・夏通じて甲子園初出場で、甲子園初勝利は残念ならず、守備もミスがなくてエラーもなく守備も鍛えられていて、先発の2年生の背番号11の投手佐藤和真投手は、良く投げたと思います。
 新チームへの課題は、今日の試合で再三得点チャンスで、打てなかったで新チームの課題は、打撃だと思います。
 この試合は、昨日の第4試合で茨城の常総学院に6対0で、負けた南・北海道代表の
北照は、3年生を抜いた1・2年生が友情応援しに来て、帯広大谷の応援をしてくれました。
 今年は、東北勢が6校のうち秋田の秋田商を抜いた5校が、初戦を突破して、山形の日大山形と岩手の花巻東の2校が、ベスト4に東北勢2校が進出したが、2校とも決勝進出もならなくて、今年も東北勢は春・夏合わせて初優勝は、ならなくて深紅の大優勝旗を東北に持って帰ることは、できませんでした。
 今年の夏の甲子園は優勝候補の学校が次々破れていって春のセンバツ優勝校の埼玉の浦和学院は、宮城の春のセンバツベスト8の仙台育英に11対10に負けてたのと準優勝の愛媛の済美は、夏の甲子園のベスト4に進出した花巻東に延長10回の末、済美は4番の2年生エース安楽の3ランで7対6の1点差で負けた。昨年春・夏連覇した大阪桐蔭は、1回戦は新潟の日本文理と対戦して大阪桐蔭は、昨年は春・夏連覇のメンバーで、3番の正捕手・森友哉選手の2本を打って10対2で、日本文理に勝って2回戦に進出して、2回戦は山梨の日川と対戦して、延長10回裏に番のサヨナラでサヨナラ勝ちで4対3の1点差で、勝った。大阪桐蔭は の相手は、昨年の夏の甲子園の準決勝で明徳義塾と対戦していて、4対0でエース現阪神の藤浪晋太郎投手に完封されているので、明徳義塾は、昨年は決勝戦一歩手前の所の準決勝で、負けて悔しい思いをしたので、昨年は1年生ながら2番手で投げた。2年生エース岸が完投勝ちして、大阪桐蔭に5対1で明徳義塾が勝って昨年のリベンジをされて、大阪桐蔭の2005年の駒大苫小牧以来8年ぶりの史上7校目の夏2連覇のを狙う。大阪桐蔭も夢は破れました。
今年の夏の甲子園は、浦和学院と仙台育英と済美と大阪桐蔭の優勝候補が次々負けて行く中、初出場の前橋育英が、1回戦の山口の岩国商と2回戦の鹿児島の樟南と2年生エースの高橋光成投手が、2試合連続完封で3回戦は、神奈川の名門の横浜に7対1で、打線は甲子園来て初めて7点取ってもらって打線が援護して、2年生エースの高橋光成投手が完投して、勝って初出場でベスト8に進出して、準々決勝に進出したが、準々決勝の先発は2年生エースの高橋光成投手は、軽い熱中症になって体調を崩して、準々決勝の先発は背番号10の投手の喜多川で、今大会甲子園初登板の喜多川は5回まで投げて、6回から2番手で2年生エースの高橋光成投手がマウンド上がり、この時点で前橋育英は茨城の常総学院に9回表まで2点リードされていて、常総学院のエースの飯田投手が9回裏に備えて、マウンドに上げって投球練習をした直後に、暑さで熱中症の疑いで右足の太ももがつったというアクシデントでエース飯田投手はいったん戻って医務室に行って手当をして、再びマウンド上がったが投げて、また足をつってしまったので、マウンドから降りて投手がエースの飯田投手が、から背番号15の金子投手に代わった直後に、前橋育英は7番の投手のエース高橋光成投手のタイムリー3ベースで2対2の同点に追いついて、10回裏に3番の土谷選手のサヨナラヒットで、前橋育英が3対2のサヨナラ勝ちで、初出場で初のベスト4進出を決めました。
 負けた常総学院は、勝利目前で9回裏にマウンド上がって投球練習終わった直後に、エ
ースの飯田投手は熱中症の疑いで右足の太ももをつってエースの飯田投手に、代わった背
番号15の金子投手は、打たれて結果はサヨナラ負けになったが、チームメイトと一緒に、
エースの飯田投手と一緒に勝って2003年の夏の甲子園で初優勝し時以来のベスト4に進出したかと言ってました。
 常総学院は負けはしたが、2003年の夏の甲子園で初優勝し時以来のベスト4に進出しました。 
 初出場で初のベスト4進出にした前橋育英は、日大山形に2対0で勝って2年生エースの高橋光成投手は、3試合目の完封で初出場で初の決勝進出を前橋育英は決めました。
 決勝戦の相手は、第2試合で、岩手の花巻東に4対1で勝った宮崎の延岡学園で、勝った延岡学園は宮崎県勢として春・夏合わせて初の決勝進出で、九州勢として宮崎県勢はまだ春・夏合わせて唯一甲子園で、優勝していない県です。
 決勝戦は、前橋育英と延岡学園の両校は初の決勝進出で、群馬県勢では1999年の桐生
第一以来14年ぶりの決勝進出で、宮崎県勢としては初の決勝進出です。
 優勝した前橋育英は、群馬県勢としては1999年の桐生第一以来14年ぶりの優勝で、初
出場初優勝は1991年の大阪桐蔭以来22年ぶりです。
 優勝投手になった前橋育英の2年生エース高橋光成投手は、2年生投手が夏の甲子園で
優勝投手になったのは、2005年に駒大苫小牧の現楽天の田中将大投手以来8年ぶりです。
9回裏2死1、2塁で最後の打者を空振り三振に仕留めると、前橋育英の2年生エース高橋光成投手はマウンド上で両腕を突き上げた。そして、女房役の小川君と体をぶつけ合う
ように抱き合うと、歓喜の輪の中心で笑顔が弾ける。
 準決勝まで41回を投げ、自責点0。疲労は隠せなかったが、試合前に「自分は2年生だと思っていない。負けたら引退だと思って投げる」と悲壮な覚悟で臨んだ決勝も3失点で完投し、チームを初出場初優勝に導いた。
 4回裏に3点先制を許し、今大会初めての自責点がついたが、直後の5回表に味方が追
い付いた。勝ち越した直後の7回表は2つの空振り三振を奪って三者凡退とするなど、要
所での力強さが光った。試合途中、疲労を気にかけた荒井監督に声をかけられたが、「大
丈夫です」と答えた。「ちょっとスタミナが足りない」と自覚したが、粘り強く投げるこ
とに集中した。9回裏のピンチは「先輩たちや全員の気持ちを込めて投げました」。最後
の打者を空振り三振に仕留めた瞬間を「最高です」と振り返った。
準優勝に惜しくも終わった延岡学園は、最後の9回裏に無死1、2塁と粘ったが、あっとゆうまに2死となって最後の打者の奈須君が空振り三振に抑えられて、4対3の1点差で優勝した前橋育英に負けはしたが、延岡学園は頑張ったと思います。
今大会は、親子と祖父と孫と一緒に、甲子園に出場する球児が何人もいて、今大会初出
場で初優勝をした。群馬の前橋育英の主将・4番の荒井海人選手と荒井直樹監督の次男で、
決勝戦終了後の優勝インタビューで、母の寿美世さんは前橋育英の野球部の寮の寮母さん で、荒井海人主将がいつも僕たち野球部員の面倒を見くれてありがとうと1塁側アルプススタンドに応援しに来てたので、優勝インタビューで、お母さんにお礼を言ってたのは、
とても感動しました。
 優勝した前橋育英に、3回戦で負けた横浜の2年生の渡辺佳明選手は、5番で1塁手で、横浜のベテラン監督の渡辺智元監督の孫で、渡辺智元監督の次女の子だそうです。
 まだ2年生で、1年あるので今年の夏は甲子園に出場して活躍できなかったので、横浜は2年生中心のチームだったので、来年の春のセンバツと夏の甲子園に出場できそうなので、春か夏に甲子園に出場したら活躍して、欲しいです。
 後今年の夏の甲子園に、1984年以来29年ぶりに出場した。和歌山の箕島と1979年34年前の夏の甲子園の第61回大会の3回戦で、箕島と石川の星稜と対戦して、延長18回の大熱戦の試合で星稜は、箕島に4対3で負けた当時星稜の1塁手の加藤直樹さんの息子の加藤峻平選手が、今年の夏の甲子園に出場していて、1回戦で徳島の鳴門と対戦して、峻平選手は代打で試合に出場したが、チームは鳴門に12対5で負けて、残念ながら初戦突破できませんでした。
 この試合は、松井秀喜氏も観戦してました。
今年の夏の甲子園は、父子で出場した選手は星稜の加藤峻平選手と優勝した前橋育英の荒井海人主将の2人で、祖父と孫と出場した選手は、横浜の2年生の渡辺佳明選手1人だけで、今年の夏の甲子園に身内で出場した選手は合わせて、3人いました。
 今年の夏の甲子園は、前橋育英の荒井海人主将と荒井直樹監督は、父子で前橋育英を優勝に導きましたが、過去に父が監督で、子が選手で、優勝した学校は、2校あって今太会優勝した前橋育英の荒井親子で、3校目となりました。
 優勝した前橋育英の荒井直樹監督は、神奈川の日大藤沢出身で、プロ野球の中日の日本球界最年長投手の山本昌投手の1年先輩です。
 今大会は2年生の投手が活躍していて、惜しくも1回戦で敗れた。帯広大谷の背番号11の佐藤和真投手と北照の背番号11の斎藤網記投手で、春のセンバツの優勝投手の浦和学院の2年生エースの小島和哉投手は、1回戦で宮城の仙台育英と対戦して、1回裏に仙台育英の打線に、立ち上がり悪かったのと周りが期待する。春・夏連覇のプレッシャーの重圧のに抑えされて、10点取取られて10失点を失い。小島投手は9回裏にマウンドに上がったが、熱中症の疑いもあって暑さで足をつったので、森士監督に無理させないで、マウンドから降りて交代しろと言っても小島投手が、やだと首を振ってたが、何故小島投手は、交代したくないわけは、1回裏に仙台育英の打線に10点を取られた後に、味方の打線も10点を返してくれて10対10の同点に追いついてくれたのもあり、エースとしてのプライド責任があると思うのと3年生には、負けて自分のせいで悪いことをしたなと思ったのと自分が打たれて、悔しかったのだと思います。
 結局チームは、11対10で残念ながら仙台育英に負けはしたが、小島投手は2年生なのでまた甲子園に出場してきて、欲しいです。
 昨年1年生で、甲子園のマウンドを経験して、ベスト4に進出した高知の明徳義塾の2年生エースで、打って4番の岸潤一郎投手と春のセンバツ準優勝の愛媛の済美の安楽智大投手は新チームでは主将になって責任感を持つように成、ピッチングもがむしゃらで投げなくなってコントロール重視で、ピッチングをするようになり、同じ2年生で今年の夏の甲子園で、優勝投手になった群馬の前橋育英の高橋光成投手と2年生2人だけ夏の甲子園終了後に台湾で開かれた。18U野球ワールドカップの日本代表に選ばれて、一緒になったときに安楽投手は、高橋光成投手にフォークボールの握りを教えてもらって投球の幅が広がったみたいです。
 春のセンバツと夏の甲子園を合わせると2年生エースが、優勝等になっていて、今大会は、2年生の投手がめだった大会だと思いいます。 
 6人の2年生投手は。来年は3年生になって甲子園に出場して、戻ってきて下さい。

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