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元タンパベイレイズ松井秀喜選手の突然の引退1

「元タンパペイレイズの松井秀喜選手の突然の引退1」

 昨日ラジオを聞いてたら、元タンパペイレイズの松井秀喜選手が引退すると言う。ニュースを聞いてびっくりしました。松井選手と言えば、ニックネームはゴジラです。僕が高校生時から(僕は高3で)松井選手は高1で僕より2年下で、松井選手は1年生の夏の甲子園に石川の星稜で出場して、1年生の夏は松井選手は1年生ながら4番を任せられていて、守備は1年生の夏はファースト守っていて、打っては1年生ながら4番を打ってこの試合は4打数0ノーヒット(4タコ)で、甲子園初ヒットは残念ながら出ず、この試合は夏の帰省中(外泊)に、札幌実家に帰ってた時にテレビで見てて、その試合は西・東京の日大鶴ヶ丘に2回戦で、7対3で負けて星稜は残念ながら初戦敗退でした。
 2年生の春の選抜は出場はできなかったが、夏の甲子園では、初戦の2回戦の静岡の市立沼津戦で、松井選手は俺は打つだけの選手じゃないと足でアピールして、2盗・3盗の盗塁をした松井選手の活躍で、市立沼津に2回戦で、4対3で勝って星稜は初戦突破しました。次の3回戦の茨城の竜ヶ崎一戦で、松井選手には甲子園待望の初のホームランを打ち、この試合で甲子園は初ホームラン打った3回戦の茨城の竜ヶ崎一戦と2回戦の静岡の市立沼津戦は、夏の帰省中に(外泊)で札幌の実家に帰ってた時にテレビで見てました。星稜は3回戦で竜ヶ崎一に4対3で勝ってベスト8に進出しました。
 準々決勝に進出した星稜は、長野の松商学園のエース・4番の(元北海道日本ハム・元中日)上田佳範投手(松商学園)プロ入団2年目に投手を断念して外野手に転向、(引退後は中日の外野守備走塁コーチ)率いる松商学園に3対2で星稜が勝って星稜はベスト4に進出しました。準決勝に進出した星稜は、大阪の大阪桐蔭の4番の萩原誠外野手(元阪神・大阪近鉄)社会人野球IBM野洲(滋賀)引退後は柔道整復師の資格を取得して、整骨院を開業する大阪桐蔭に星稜は、大阪桐蔭の4番の萩原選手にホームランを打たれて、星稜の4番の松井選手は、この日の大阪桐蔭の先発の(元大阪近鉄・巨人)背番号10の背尾伊洋投手(大阪桐陰)に抑えられて、星稜はこの年春・夏連続甲子園初出場で、初優勝した大阪桐蔭に7対1で、星稜は負けてベスト4に終わり、星稜は残念ながら後一歩で石川県勢として春・夏合わせ甲子園初の決勝進出はなりませんでした。

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