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リビングライブラリーin よっしー

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本日、よっしーがリビングライブラリーに登場。

東京と八雲をスカイプでつないで、語り部を担当していました。
一コマ30分を3回。

お疲れだとは思いますが、回を重ねるごとに、人との会話を苦手とする「よっしー」の顔が自信に満ちた顔つきに変化!(^_-)

「また、話したい」

と、感想を述べていました。

以下は、彼が冒頭で述べていた語りです。

働かない人のなかで働く

僕の病気は全身の筋肉が壊れやすいために、筋力が低下する難病の筋ジストロフィーです。
その中で最も症例が多く、進行が早いデュシェンヌ型筋ジストロフィーです。
この病気では小学校中学年くらいで車椅子生活になり、高校生くらいで手足を自由に動かすことが出来なくなり、電動車椅子に乗るようになります。この頃には呼吸筋の機能も低下するために人工呼吸器が必要になります。また、心不全を併発する例も多く二十歳を迎える前に亡くなることもあります。

僕は7歳の頃に北海道の八雲病院に入院。併設の養護学校に通いながら病院という小さな社会で育ってきました。入院当時のデュシェンヌ型筋ジストロフィーの平均寿命は二十歳だったので、自分が成人してからの生活など考えられませんでした。

養護学校を卒業後も病院での生活が続くわけですが、そこに働くという考えがありませんでした。なぜなら、一日8時間働くのは身体的に難しく、そもそも入院患者が働けるわけがなかったからです。また、二十歳からは障害者基礎年金が国からもらえます。月約8万円から入院費用として約2万円ということで、働かなくても生活に困らないのです。

そんな中、東京大学先端科学技術センター中邑研究室の中邑教授の講義が養護学校で開かれることになり、講義の中で普段から自分たちが使っている車椅子などの福祉機器について勉強をすることが仕事になるということを教わりました。
それから福祉機器に関する勉強をするようになったのです。

中邑研究室で働くようになったのは福祉機器をテーマにした自分のホームページを中邑研究室の研究員の方(奥山さん)が見てくださり、声をかけてくださったことがきっかけとなりました。

現在の仕事は福祉機器のデータベースに掲載する製品をメーカーに問い合わせて掲載許可をもらい、メーカーのホームページから製品のスペックと概要をまとめる作業です。

働かない、働けない生活の中で働くようになった理由は人の役に立ちたい、人に社会の一員として認められたいという気持ちでした。身の回りのことを全て介助がなくては生活出来ないが故にそんな思いがありました。

実際に取り組んでみると、興味があることが仕事なので面白く、何より自分で稼いだお金がもらえるというのはすごくうれしいことでした。
また、自分の生活スタイルに合わせた働き方を身をもって体験しています。
病院の中という狭くて社会から離れた世界から、社会の人とのつながりを持つことが出来ました。
働かない人たちも「こんな働き方もあるんだ」と関心をもつきっかけとなってもらえたら良いと思っています。

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