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タバタ記者の一押しスポーツ! 『甲子園の土を持ち帰るのか?』

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突然ですが、野球大好き『タバタ』くんの一押しスポーツ記事の連載が始まります。
へーって、うならせる記事を書いてきますので、よろしければ感想などをいただけたら嬉しいです。

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ただいま、熱い戦いが連日繰り広げられている甲子園。いろいろなドラマがあるのでしょうが、その一つ。甲子園の砂を持ち帰る習慣はいつから、どうしてなの?を調べてみました。

始まりは、戦前の1937年の夏の甲子園で(当時中等野球優勝大会と呼ばれていた)熊本工が決勝戦で負けたのがきっかけで、それ以来、高校球児が甲子園の土を持って帰るようになったそうです。

甲子園の砂のエピソードといえば、首里高校の件。
沖縄は、第2世界大戦の1945年の8月15日の終戦した日から1972年の5月16日に日本の本土に沖縄が復帰するまで、米国の統治下におかれていたため、戦後初めて沖縄県勢の高校で初めて、1958年の夏の甲子園に出場した首里は、1回戦で敦賀(福井)対戦して3対0で負けて初戦敗退で、沖縄に帰る途中で甲子園から首里高校のナインが持ち帰えた土は、当時沖縄は米国の統治下にあっために沖縄に帰る途中の船の中で税関の検疫のチェックを受けて、甲子園の土の中に危険物や危険な菌が入っている可能性もあるので、甲子園の土は無情に海に捨てられて、首里高校のナインは故郷の沖縄に甲子園の土は残念ながら持ち帰ることできませんでした。
 この当時は沖縄から旅行するのと、旅行に行くのも
パスポートが必要だったみたいです。
 日本に復帰した今でも沖縄に米軍基地があり、沖縄の高校球児は米軍の戦闘機の飛行訓練の騒音と低飛行が危なくて、いつ飛行訓練中の戦闘機が落ちてこないか心配の中リトルリーグ時代から練習をしてるので、沖縄の高校球児は苦労してるのだろなと思います。

2004年の夏の甲子園で、北海道勢として初優勝した時の
駒大苫小牧のキヤプテンの佐々木孝介現駒大苫小牧野球部
監督に甲子園に出場した時に、甲子園の土を持ち帰えてき
のか話を聞いてみました。
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 僕は全国制覇して甲子園の土を持ち帰ってきていません。
もちろん2年生の時に倉敷工業に負けたときも、来年必ず
甲子園で借りを返すと思っていたので土は持ち帰りません
でしたが、全国制覇した時も土は持って帰りませんでした。
また自分が指導者として甲子園戻ってくることを考えると
ここが終着点ではないと思っていました。
 ただ、優勝した後観客が誰もいない時に2・3年生は特別
に全員入れてもらい持って帰っていいぞと言われ誰が持っ
て行ったのか定かではありません。
 参考にならないかもしれませんが回答致しました。あり
がとうございました!

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