記事一覧

トップ > 記事

青空号放浪記 file.001

コレスペハローワークFILE.02の『のぶさん』が、電動車いす日記を書いてくれました!(^_^)v
連載予定?ですので、今後ともよろしくです!

あおぞら号 漫遊記

この春のこと。僕は32年の人生で初めての電動車椅子を手に入れました。青いフレームの電動車椅子は、名づけて 「あおぞら号」。空にあこがれ、大好きなスピッツにもあやかった名前は、それだけで僕をわくわくさせる不思議な力を持っているようです。名は体をあらわす。あおぞら号は、自然の多いこの八雲という街で、大きな空を感じ、暖かい日差しの中、風に乗り、空を飛んでいるような日々を僕にもたらしてくれました。

歩くことが無くなってから気がつけば23年。自分で動くことに魅力を感じることもなくなっていましたが、それでも電動車椅子を作ろうと思ったのは、最近は僕も入院することが多くなってきたので、そういうときに入院生活の退屈を埋め、看護師さんの負担を減らすためにも、僕もそろそろ電動が必要になると考えたからです。ただそうは言っても最初のころは電動を作って、どの程度うまく動かせるのか、また車椅子が変わることで、パソコンの操作や車椅子の乗り降りなど、いままでに慣れてしまった、その生活の変化にうまく対応できるかどうかなど、いろいろと不安を感じていました。

しかし、そのような不安は関わってくれる人たちのたくさんの努力と、心のこもった作業の連続の中、車椅子が少しずつ出来あがるにつれて解消され、例えば、いくつかのベルトの強弱でハンモックのように背中を包み込み、背もたれを作る作業は見た目以上に重労働で、主に4人の先生と、はらっぱさん(製作業者)の努力の結果、完成した背もたれの気持ち良さに驚き、希望の光はそのあたりから大きくなっていったような気がします。操作に関してはて田中先生が僕の手にあわせて右手にふたつ、左手にひとつ作ってくれたスイッチはとても押しやすく、最初こそおっかなびっくりだった僕も、6キロ走行で風を感じた時には、こんなにもうまく動かせるものかと、とても興奮していました。これなら行ける!大丈夫!と自信を深めたその瞬間から、僕の心も大きく動き始めたような気がします。

それでも、まだまだ寒い気温のせいで、手がかじかむとすぐにボタンも押せなくなって、立ち往生していた最初のころ。あと百メートルで、家にたどり着けずに笑っていたことも、ならばと言って、病院に無事に到着することが最初の目標となり、寒さ対策を考えみんなでわいわいやっていた時間も、いざ出陣の運動会応援であっさりとその目標を達成し、いっきに家との往復にも成功したことも、そういうことに喜びを感じていた日々は、僕の人生のかけがえのない時間となっていたように思います。

いよいよ最初の散歩では、自衛隊の敷地から、少しかすみのかかった山並みを望み、緑の多い相生公園では、カッコウの声を頼りにその姿を探してみたり、細くて長い遊歩道にチャレンジすれば、木の根が持ち上げたアスファルトの段差に行く手を阻まれ、苦労してそれを乗り越えては喜び、リクライニングで太陽と向き合い目を閉じれば真っ赤に見えるまぶたの裏も楽しく、木漏れ日や木の葉のこすれる音、名も知らぬ鳥達のさえずり。そんな何でもないような事に心おどらせ、いつでもそこに存在していたはずの自然に今更ながら気がつき、その一部になれたような気にもなりました。
こいつがあればどこにでも行ける。自分で動ける喜びを知り、八雲の自然を改めて感じたとき、いつしかそんな気持ちになっていたのかもしれません。昔懐かしいミルクロードへと続く道にあい対して何か小さな緒戦をしたいと思い立った僕は、片道5キロのハーベスタという場所へ。この夏の目標をすぐに見つけたのでした。

それはともかく、6月の晴れた空はいつでも僕を誘っていて、父もそんなウズウズしている僕の気持ちを喜んでいるのか、しきりに誘ってくるので、それじゃ5分くらいと言いいながら、改めて外に出て、自分で動く喜びを知れば、やるべきこともすべて忘れて3時間も歩いてしまうのです。それは、まるで子供のころの探検ごっこのように、狭い路地でも舗装している限り、または少しくらいのテゴボコならば、どこに繋がっているのかを行って確かめてみたり、例えばパノラマパークの原っぱにある細くて曲がりくねった遊歩道を下ってみたり、例えば家の横にある砂利道にチャレンジしてみたり、ひとつひとつの出来事は自分のできることを確認して、自信を深める作業なのかもしれません。いまの僕はまるで子供のころにやるべき冒険を、再び子供に帰ってやり直している気分です。これでまた僕も大人になれるのでしょうか?

また、あおぞら号が走り始めた八雲という町は、僕が去年引っ越してきた町であるとともに、20年も昔に住んでいた懐かしい場所であり、それも歩けなくなったことが理由で僕は八雲を離れているので、この街には、幼稚園から小学校の三年生にかけて、まだまだ元気に歩いていたころの特別な思い出がたくさん詰まっているのです。歩けなくなって離れた街に、戻ってきてまた歩き始めるこの不思議。この街をあおぞら号で巡ることは、自分の足で歩いていたころに戻って、思い出を巻き戻す旅でもあるように思うのです。懐かしい場所を巡りながら、歩く距離が少しずつ伸びるにつれて、自分の中で自信のようなものが増していく心地良さ、歩けば当然懐かしい人と出会い、話せばまた楽しく、何かに誘ってもらえば、話もまた展開して世界はどんどん広がるのです。あおぞら号が八雲人としての僕を本当の意味で復活させてくれたように思います。

しあわせとは、きっと、人生に喜びを感じることであり、関わってくれる人たちの情熱や愛情、そして自らの努力と、希望や小さな挑戦の連続の中、獲得していく、一歩一歩の前進なのかもしれません。それは歩くことに似て、ゴールを目指せば苦しくなるけど、行けるとこまで行ってみるなら、こんなに楽しいことはなく、人生の節目にあおぞら号を手に入れた今の僕にとって、小さな前進の日々が大きな喜びとなっているのです。動くということは、人と出会い関わることであり、自然の風景や楽しい出来事を手に入れることだと思うのですが、動かない体の代わりに、心を動かすことでしあわせを感じていたいままでの自分。今度は、あおぞら号を動かして、人や風景に出会い、しあわせをかみ締めていきたいと感じています。あおぞら号は、まだ動いたばかり。間近にハーベスタへのチャレンジを控え、動き出した世界は、僕に何をもたらしてくれるでしょうか?ゴールの無い人生はまだまだ続くのです。最後になりましたが、あおぞら号に関わってくれている皆さんに、こころから感謝したいと思います。                    

(もしかしたらつづく)

ページ移動