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『風歩』

ファイル 321-1.jpg 「障害のある人の本を読んでみない?」と言われたとき、私は正直気が進まなかった。闘病記のようなものは今までずいぶん読んだし、感動したこともあったのだが、キレイな言葉が並んだ本は今はいらないと思ったからだ。しかし、読まず嫌いではせっかくのいい本との出会いのチャンスを逃してしまうかもしれない…と思い、読むだけ読んでみようと借りることにした。
 それが、『風歩』である。
 著者・森山風歩さんは筋ジストロフィーの女性である。年齢も私と近い。そのことで、何か共通点があるかな…と思えた。
 この『風歩』、表紙をひと目見ただけで、インパクトのある本だ。
 彼女自身の顔写真が載っている。キレイな人だと思った。大きく、力強い意志を感じさせる瞳も印象的だ。しかし、その瞳からは一粒の涙が流れている。その涙の理由が気になって、本を開いた。
 最初から最後まで、ガツンと来る内容である。
 まず、辿ってきた道のりが壮絶だ。家族からの虐待、学校でのいじめ…特に、家族からの虐待が書かれている部分は、客観的に読んでいる私にもショックが大きかった。私は当たり前のように家族からの愛情を受けて育ってきた(それでもつらいと思っていた)から、彼女の痛みは文面から感じ、想像することしかできないが、それだけでも心が痛かった。ただ、彼女はその【痛み】に甘んじているような人間ではなく、そこから自分の考えを見つけ、自らを育んでいく力を身につけている。そのせいか、心が痛む話を読んでいても、ショックではあるが、ただ悲しいお話で終わっていない。そこが、個人的には好きだ。
 そして、この本には、世間にありがちな、あるいは私たち当事者が作ってしまいがちな「障害者=困難に負けずに健気に生きる人」といったようなイメージをひっくり返すようなエピソードの数々が書かれている。それは、彼女と同じ「障害者」である私が見ても目を丸くするようなものだ。それらはとてもハチャメチャで痛々しくも見える。だが、誤解を恐れずにいえば、私は彼女のその姿に尊敬や羨望も覚えた。それは、「生き方を自分で選んでいること」、「経験して得たことを、自らの血肉として生かすこと」に対してのものである。私に決定的に足りないものを、彼女は持っている。それが時として自らの肉体的寿命を縮めるような方法であったとしても、私は彼女をすごいと思うし、とても眩しく見えた。
 表紙の彼女の涙には、悲しみや絶望、苦悩が見えるような気がした。あるいは、過去との決別の涙か…読むたびに、その涙の理由が違っているようにも見える。ファイル 321-2.jpg
 この本を読む前に、私と彼女には何か共通点があるかもしれない…などと思っていたが、読み進めるうちにむしろどんどん離れていくような気がした。けれど、彼女の紡ぐ言葉は、痛いくらいに確かな説得力を持って私の中に入ってくる。それは、先述したように、彼女が「生き方を自分で選び」「経験から得たことを語っている」からであると思う。
 この『風歩』は、障害を持たない人たちにももちろん読んでほしいが、障害当事者にもぜひ読んでもらいたいと思う。今までの自分と向き合うきっかけになるはずだから。
風歩