正月休みのアンニュイな感じもようやくおさまり。
いよいよ、気持ちは仕事への本格シフトのようです。
みんな当たり前に作業していますが、24時間の呼吸器をつけても仕事をしようなんて、熱いです。
トップ > 2010年01月20日
小学校に入学してすぐに、上靴がゴミ箱に捨ててあった。
あー。これがいじめなんだとすぐに気づいた。
小学校中学校を通して、気のおける友人という友人はなぜだかできなかったように思える。
いじめを強く意識するようになったのは、小学校3年生の時。
”ばかだの、遅い”など、言葉のいじめを感じるようになった。
その頃だろうか、1週間ほどのストライキを起こす頻度が増えていった。母親もうるさく、学校に行きなさいというが、それでも断固学校に行かずにいると、担任の登場となる。
「勉強が遅れるぞー~」とはじめは優しい口調だが、かたくなな僕にあきれたのか、最後は決まって、抱きかかえられて無理矢理に学校まで連れて行かれることを繰り返していた。
「いじめへの不安?」
それもあるが、その頃には、床からも自分で立ち上がれなくなり、車いすを使う頻度も増えていった。体育に参加できない、いろんな活動の制限が僕の学校へ行くという意味を失わせていたかもしれない。
再び学校へと思うようになったが、小学3年の秋に、盲腸で入院したことがきっかけだった。
クラスメイトからたくさんの励ましの手紙をもらった。
はっきりは覚えていないが、そのことがうれしくなぜが安心した感じがした。
小学3年になってから転ぶ回数が増えてきた。
自分の力だけでは立ち上がれなくなっていたが、クラスメートが助けてくれていた。
小学3年の秋には、転んで小さなけがばかりつくっていた。
学校の先生や親は、危ないということで、車いすを薦めるようになっていた。
その年の冬。
ある朝、家から学校までの7~800メートルほどの距離で、何度も転び、いつまでたっても学校にたどり着かないことがあった。
それをみかねた母親が、真っ赤なそりに僕をのせて、学校までの登下校の付き添いをしてくれるようになった。
ある時、学校の窓から、自分を眺めている生徒がいた。
それからだ!
他の人も自分のことをみているのではと、周りが無性に気になりはじめた。
その頃導入した車いすも、車いすに乗っている自分が変な感じに思えてきた。転んでもいいから、歩いているほうがいいかなと車いすをいやがる時もあった。