記事一覧

トップ > 2010年01月22日

ファンコムの松尾さんいらっしゃーい。

ファイル 812-1.jpgファイル 812-2.jpg

本日は、レッツチャットでおなじみの松尾さんがご来店!
早速、上肢障害者用の携帯電話コントローラの打ち合わせ。

「僕は研究のための研究はしたくない。常に、実際使ってもらえて喜んでくれるものに関わりたい。」と、大阪の暑さをそのまま持ってこられたかのような熱さで話されていました。(^_^)v

マイアルバム

ファイル 811-1.jpgファイル 811-2.jpg

ひさびさに、『あきよし』くんの部屋にいくと、最近はやりの「デジタルフォトフレーム」がおいてありました。

でも、この角度ではどうやっても自分では覗けません、
理由を尋ねてみると、自分の描いた絵を訪れた人に見せるためにおいてあるのだそうです。(^_^)v

まい・エピソード :そうぞうあそび

ファイル 810-1.jpg
小さい頃から、よく頭の中で独り言をいっていた。(今もやっているけど)自動車の効果音や、考えたことを自分の中で想像するんだ。想像遊びは僕の支えだった。

ばあちゃんや姉ちゃんには、「変な癖がつくからやめなさい!」って何度か注意されていた。良いことじゃないって。
今思えば、健常者になりたかったからだと思う。でも、そのときは、車を運転したいって気持ちや、寂しいって思いから。。。
早く大人になりたかったと願っていた。大人になると、力がつくと思っていたから。車を運転できれば、少しは気分が変われるかなって思っていた。
でも、高校生になっても、どんどん力は落ちてきた。ちっとも思っていたことと違う。歩いている時のほうが咳や肺の力があった。
でも、こうなるんだろうってことは、周りがそうだったから、昔から感じていたことだった。
だから、高校になったとき、「もう想像遊びはやめないって決めた」
卒業したとき、18歳で、想像遊びで車の免許をとった。
外泊のとき、家までは10時間くらいかかる。助手席に座っていても、十分にドライブの気分になれたんだ。

まい・エピソード: 九死に一生

ファイル 809-1.jpg
ハプニングといえば、家のお風呂でおぼれたことがあった。
小学6年のころの話。お風呂では、いつも手すりにつかまって湯船に入っていた。
身体を浮かしながら遊んでいると、おしりが急に浮いてきて戻らなくなった。。
「う。。息が。。できない。。」
顔がお湯につかってしまった。。

口と鼻が沈んでいる深さは、ちょうど1センチくらい。
とっさに、お風呂の水を飲んだ。
お湯を飲んだら水かさが下がると思ったからだ。
「・・・・だめだーーー」子供の浅知恵だった。
そんなことで、お湯が少なくなることはない。。

(そうだ。。栓を抜けばいいいんだ)
幸い水中だったので、身体は自由に動けた!
ゴゴゴと音を立てながら、湯船のお湯が少なくなっているのはわかったが、いっこうに、体は浮いてこない。それどころか、水かさと一緒に、身体も一緒に沈んでいく。。

どうやら、お湯がすべてなくならないと、顔はお湯から出られない。。。。
(パニックになった。。死ぬ。。。。。)
それまでの出来事が走馬燈のようにフラッシュバックしてきた。。。
(このまま死ぬわけにはいかない!)
ふと、我に返り、(仰向けになればいいんじゃないか)
必死に、身体を動かした。。。
そのとき。”ガラーっ”と、お風呂場をのぞきに来た母さんがいた。
(助かった。。。)
「おーーーい。何してるの?」冷静な感じで、声をかけられたのが聞こえた。。
「どっかいっちゃうよー。。(笑)」
必死に、横を向いた僕の表情をみてか、まずいと思い、助け上げてくれた。
「おしりがぷかぷか浮いているから、遊んでいると思ったよ~。あーびっくりした~」

こうして、僕の人生の中で1・2位を争う出来事の幕が閉じた。
それからしばらくは、おぼれる夢をみた。今でも、水に顔をつけるのは苦手である。